人工股関節術後の 考え方の変化

人工股関節 人工股関節 

先天性股関節脱臼

私は、1歳過ぎ 歩き出した頃に ひょこひょこ変な歩き方してるので病院に連れていかれ 先天性股関節脱臼がわかり 入退院を繰り返していたみたいです。

その頃のことは、ほとんど覚えていませんが、病院のベット上にいたことが かすかに思い出せます。

その頃の医学は 今のように進歩もしていなかったので 股関節の手術が出来る病院もドクタ―も少なかったと。

 

今の時代だと ネット社会なので、どこの病院で どのお医者さんが良いと言う情報も手に入り易いです。

 

一度は、失敗しました。

病院が もう一度させてほしいという 申し出を 父は、娘は おもちゃではないと 断ったと聞いています。

その後 四国の病院で手術をしていただき 歩けるようになったみたいです。

活発な私は、本当は あまり激しい運動はしてはいけなかったにも関わらず おてんば娘だったみたいで 動き回って夜には足が痛いと泣き 親がさすってくれ 翌日には、病院に行くといった日々を送ってました。

大きくなるにつれ 痛みを自分で我慢するようになっていきました。

股関節の悪い人は、本当に我慢強くなってます。

いきなり ひどい痛みになるわけでは無く 徐々に痛みが来るので 少しずつ 知らず知らずのうちに 我慢をしてしまってます。

いつかは 人工股関節の手術をしないといけない日が来るとは思っていましたが、やはり無理はいけませんね。

仕事も立ち仕事 若くもないのに お昼休憩もとれないぐらいの忙しさの中 仕事してましたので とうとう負担もピ-クに達して 太ももが 拘縮しだし 帰りは駐車場まで歩くのも 半泣き状態で帰ってたのを 思い出します。

ここまで、我慢せずに 生活習慣を変えるか 仕事をセ-ブすることを お勧めします。

人工股関節術前の考え方

20年前の人工股関節手術への 考え方

現在の人工股関節の手術は 昔と違い あまり失敗はないと 聞いていたので

私の周りにも 人工股関節で手術した人もいます。

なので、さほど心配もせず 手術に挑みました。

 

その人は、和式のトイレに行くのは無理(股関節が曲がらない)、寝る時も 痛みで寝れないので 眠剤を飲んで寝てました。術前の私より ひどい状態でした。今から20年位前に なるのかな そんなに痛いなら 手術したらと 私が背中を押してあげたのが きっかけで 手術をすることになったのですが 今では、あまり動かない生活もあって 15年以上経ちますが痛みもなく 今のところ入れ替えの心配も無く元気に過ごしてます。

その当時もっと早く手術すればよかったと言ってました。

手術を 躊躇してた原因は、その当時の人工股関節は15年しか 持たないと言われてて 人工股関節の入れ替えは 大変だと言われていたため 医者からも 60歳過ぎたら手術を考えましょうと言われてた時代でした。

今では、人工股関節の素材も 耐用年数も 変わってきてますので 40代から手術に踏み切る人も増えています。

 

手術が 終わったら 旅行もいっぱい行って いっぱい歩いてと 頑張って働ける間 働いて老後資金を貯めようと術後は、痛みのないバラ色の世界になるものと疑いもしなかったです。これ以上年をとって手術するよりは 早く手術して 皆のように 旅行に行って 歩きたいなと思ってました。

人工股関節術後の考え方

もともと ポジティブな 考え方の方なので 失敗するというのが私の頭の中になかったので 人工股関節の手術後に腓骨神経麻痺になった時には 頭の中は真っ暗でした。

先生の言われるように 3か月 半年 1年 経ったら神経が戻ってくるからと言う言葉をポジティブに信じなければ 今頃 うつ病になってたでしょうね。

今では、検診に行っても 人工股関節の状態は レントゲンでしっかり見てくれますが 腓骨神経麻痺になった所は見ない 触れないですね。正直がっかりです。数多くの患者の一人だから 命に係わるわけでもないし そんなものでしょうか❔

思い返して 手術をしなければよかったとは 思いませんが もう少し人間味のある態度を見せてほしです。

あの時の股関節の痛みは 今思い出しても 悲壮なものでしたから。ただ 同じ病院でしても 同じ先生にお願いしても 違う日の 違う順番にしていただいてたら 違ってたのかなと 思うことは 多々あります。

もう少し年をとってからの 腓骨神経麻痺になると今のようにおそらく回復はしなかったのではと思いますので  きっと寝たきりになってたと思います。神経の怖さを思い知りました。

今後も 体験から今後の状態を 発信していきたいと思います。

 

 

 

 

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